宗谷地域におけるインターネットの草分け ―稚内電波観測所

1991年(平成3年)6月に、郵政省通信総合研究所(当時)の稚内と沖縄の両電波観測所は、INS-P回線により、所内LANを通じてインターネットに接続されました。稚内電波観測所は、北海道宗谷地域では極めて早い(おそらく最初の)インターネット接続機関です。

(同時並行して行なわれた沖縄電波観測所の接続は、米軍関係を除く沖縄県内最初のインターネット接続であったと認められています。)

TA router
当時のターミナルアダプター
INS回線と接続するために使用していた。
当時のルータ(プロテオン社製)

当時、稚内電波観測所長だった徳丸宗利(1985年入所、現在・名古屋大学太陽地球環境研究所助教授)は、資料「通信総合研究所における計算機ネットワークの歴史」の「平磯の宇宙天気予報ネットワークから、インターネットへ」というエッセイの中で、通信総合研究所平磯宇宙環境センターから稚内電波観測所長へ異動した頃の思い出話を、次のように語っています。

突然の異動の話をもらって、非常に忙しくなった。気象衛星センターとのデータ伝送システムの完成と覚え書きの改訂、TISN接続に向けた準備(覚え書き)などを仕上げなくてはならない。そういう多忙な時に、企画部長から「地方活性化のために必要なものがあれば要求を出せ」という話があった。そこで、即座に「ネットワークが研究インフラとして不可欠」と答えた。 ネットワークの便利さだけなく、ネットワークがあれば平磯でやってきたことが継続できるという考えもあった。すると「では、後は黒岩主任研と話せ」ということであった。黒岩さんは、沖縄へ異動することになっており、鹿島でお世話になった先輩であることから、とても話し易かった。

活性化と言っても、特別に予算が有るわけでない。まず、回線としては大型計算機システムの端末用の電話回線が既にあったので、それを利用することにした。丁度、大型計算機システムは更新される時であり、その回線はINS-Pになる予定だった。ISDNでは、2つのBチャンネルと複数のDチャンネルが利用できるが、稚内、沖縄共にBチャンネル1つが空くことが判った。稚内、沖縄のネットワークでは、それを使うことにした。接続のためにはルータが必要であるが、稚内、沖縄は新規に購入せざるを得ないが、受け手にもルータが要る。国分寺にはルータを購入する計画はなかったので、平磯が宇宙天気プロジェクトでTISNの接続のために購入するルータ(Proteon)を利用することにした。受け手が平磯になったので、平磯にもINS-P回線を新規に引くことになった(流用できる回線はなかった)。プロトコルは沖縄がIPのみ、稚内はIPとDECnet。そして、稚内にはワークステーションがなかったので、1台購入してもらった。

ISDNの技術的なことは稚内に行ってからNTT旭川の高橋さんに教えていただいた。ネットワーク機器の調達では、平磯の宇宙天気予報プロジェクトのルータとの整合性から同じ業者である理経にお世話になった。理経の山崎さんが、調達の打ち合わせのため稚内に来たのは1991年5月上旬(ゴールデンウィーク頃)だったと思う。実際の設置は6月頃に行われた。

平磯でのTISN接続、稚内、沖縄とのネットワーク、それに関西支所でのWIDE Internetへの接続が、ほぼ似たような時期(1991年6月頃)に行われるのを前にして、一度、国分寺で本所のネットワーク関係者(町澤氏、鳥山氏など)との打ち合わせがあった。私は、丁度、地方所長会議で国分寺に出張中のときで、TISN接続に関する技術的なサポートのために宇宙開発事業団から小島さんが来てくれた。このときの議題は、当時の通信総合研究所ネットワークはネットマスクがかかっておらず、この度、ルータが導入されるのでマスクをかけようということがポイントだったと思う。その他、この時にはTISNへの負担金の支払について会計と打ち合わせたりして、非常に多忙だった。

TISNへつなぐにあたってDECnetアドレスの変更も必要だった。先に述べたように、平磯のDECnetノードには米国の6番台のアドレスがついていたが、それを日本のエリア番号40へ変えなければならなかった。日本のDECnetアドレスを管理しているのは高エネ研だったので、そこへ通信総合研究所全体(平磯、国分寺、稚内)で必要となる10台分のアドレスを申請した。アドレスの変更作業はTISN接続に先だって行われたはずだが、日時などは憶えていない。このようにDECnet関係の窓口や、TISNやNASDAとの連絡・調整などの役割は稚内にいる間(通信総合研究所在職中)、ずっとやり続けた。

TISN接続の直前または直後(記憶がはっきりしないが)、平磯で不幸な事故が発生した。それは雷で平磯のマイクロ回線設備が壊れたのである。このままでTISNにつなぐと、ネットワーク的に一つであるものが分断されてしまい、通信総合研究所内部の通信が外部を経由して流れることになる。よって、TISN側の接続はマイクロ回線が修理するまで使わないことして、WIDEのみを使ってインターネットとの接続がされることになった。DECnetはIPのルーティングと関係ないので、平磯のマイクロ回線が故障中も使えていたと記憶している。

しばらくして、沖縄でネットワークがうまく使えていないというのを聞いた。1991年10月に沖縄で地球電磁気学会があったので、その際に沖縄電波観測所を訪れて、ワークステーション(SONY NEWS)にいくつか設定をさせてもらった。後でわかったことだが、最初に稚内、沖縄ネットワークのために用いたターミナルアダプタ(TA)には致命的な欠陥があって、ある程度使うとIPのリンクが張れなくなるのであった。TAの電源をオン・オフすればもどるので、稚内・沖縄のTAが原因の場合はすぐに直ったが、平磯が原因の場合は時間がかかった。平磯としても、稚内・沖縄ネットワークの面倒見は、全くお荷物でしかなかった。そのためネットワークは不安定で、翌年藤井氏が沖縄に赴任して、いろいろ手を入れはじめて徐々に改善していった。

その後、補正予算や共用計算機システムの更新で稚内などには新しいネットワーク機器が次々に導入された(藤井氏のおかげ?)。その他、稚内にいた時ネットワーク関連のことで印象に残っているのは、

  • 稚内のJJY電波強度の自動測定結果(土屋君が担当)を自動で平磯へftpするようにしたこと。
    nfsマウントは徳丸、ftpスクリプトは石橋君が作成。それまでは手書きで平磯へFAXしていた。
  • 平磯でWWWサーバを立ち上げる際にコンテンツ作りで協力したこと。
    稚内で平磯のWWWサーバへアクセスするため、VMS版Mosaicをコンパイルした、試してみたがX.25、9.6kbpsは死ぬほど遅かった!
  • ネットワークの通信費が請求される時期になると「何に、こんなに使ったのか」と企画から聞かれた(叱られた?)こと、特に初年度は大して使ってなかったはずだが、それまでゼロだったので目立ったのだろう
などである。


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